今回のインタビューは、前回に引き続き、本サイトの副代表の吉野亜沙子さんです。今回はアメリカでの看護師経験について伺いました。
仕事が楽しすぎてサービス残業の毎日
ーーアメリカで働いていたのは2011年に1年弱と聞きました。どこでどんな仕事をしてきたのか教えてもらえますか?
吉野:ニューヨークのマンハッタンにある胃カメラと大腸内視鏡を専門に行なっているクリニックでした。私は患者さんの検査や処置、健康診断に関わる業務を行なっていました。
具体的には、内視鏡検査開始前に備品のセッティングや患者さんの現在の症状、前処置による排便状態の確認や既往歴、内服薬、食生活、検査が必要になった経緯などを聞き取ったり、検査後の麻酔覚醒までの安全確保および検査後の同意書にサインをもらったりしていました。
――手術の準備やサポートは英語が多少分からなくても問題なさそうですが、既往歴や服薬の確認を英語でするのってめちゃくちゃ大変じゃないですか?
吉野:アメリカの国試を受けてるので問題なかったですね。それに日本で使う薬と名前が同じだったり、似てるので日本の経験は役立ちました。それとほとんどの患者さんが別の病院からの紹介状を持ってきてくれたのでそれで確認できるというのもありました。
――仕事の忙しさはどうでしたか?
吉野:日本と比べたら仕事量は少なかったですね。検査が多い日は忙しいんですけど、全部流れ作業なので一度慣れたら楽でした。
――何時から何時まで働いていたんですか?
吉野:朝7時から午後1時までの契約でした。私はみんなより働く時間が短かったんですけど、その理由は前回のインタビューでお話ししたように給料の交渉をしたんですけど、ダメだったんですね。その代わりに勤務時間を短くしてほしいと伝えたら受け入れられて。実際には働くのが楽しくて午後3時半くらいまでボランティアで働いてたんですけどね。

自分で責任を持つことを覚えたアメリカ生活
ーーアメリカと日本の違いはどんな時に感じましたか?
吉野:いろんな背景を持った患者さんが来るんですよ。多文化が大好きな私からしたら、日本じゃ考えられないような人が来るのが面白かったですね。ニューヨークって食事に気を付ける人が当時から多かったんです。問診すると自分はビーガンと答える人が多くて驚きました。日本人ってそういう自分の思考で話さないと思うんですけど、向こうの人は気にせず話していましたね。
――10年前からビーガンの人っていたんですね。次に福利厚生で日本と違いを感じたことはありますか?
吉野:まずアメリカは働く日数が多いですね。祝日が少ない。一方で、休みたいと言えばいつでも休ませてくれるのは助かりましたね。あと日本だと入職したら「はい、これがあなたの保険証です」と全て準備してくれますが、こちらでは自分から言わないと何も進めてくれない。オフィスに保険に入れてほしいと相談したら「あ、いいよ」って。そういうところが海外らしいなと思いました。
――アメリカでは受け身だったら損をするということですね。
個人主義だけどフレンドリーだった同僚たち
――ワークライフバランスはどうでしたか?
吉野:基本土日は休みで呼び出されることもなかったですね。残業もなく昼にはメインの仕事が終わるので、夜はゆっくり休めました。あと、飲み会の誘いや忘年会なんかもないですね。ボスが退職する時にみんなでお寿司を食べに行きましたけど、それ以外はほとんどないですね。仲の良い人たちとご飯はよくいきましたけどね。
――同僚はどんな人がいたんですか?
吉野:医者が3人、看護師が私含めて2人、准看護師が1人、受付スタッフ5人、外部の麻酔医とアシスタントが1人ずつでしたね。あと、中国人と南米出身のスタッフがいました。彼はよく分からないんですけど、いつもオフィスの奥にいて、大腸内視鏡がうまく入らないときに呼ばれて、彼が患者さんのお腹を持ち上げてサポートすると、内視鏡がスルスル入っていく、といったサポートの達人みたいな人でした。最後までよく分からない人でしたけどね。
――何か同僚とのエピソードはありますか?
吉野:とても日本とは異なると感じた事がありました。私は昔からいろんな疑問が頭に浮かぶんですが、その疑問を口に出すと、日本では「変わってる」とか「どうしてそんなことまで考えるの?」と言われ続けてきました。ですので、私はずっと自分は変わっていて、あんまり思っていることを口にするのは良くないことだと思っていました。
ですが、アメリカでは「自分の思っていることは何でも言っていいんだよ」とか、「1日3つは質問しなさい」と言われました。そう言ってもらえて嬉しかったことをよく覚えています。そして、自分の考えや意見を相手に伝えることの大切さや喜びを知り、生きやすさを感じました。
残念なことに、日本に帰国して再就職した病院では「あなたは質問してばかりだから、少しは自分で調べて」とか「どうしてそんなにたくさん質問するんですか?」「質問することで自分の理解を確認しててズルいタイプだね」と言われて、本当に驚きました。驚きと同時に悲しさと残念さも感じました。
他にもアメリカでは、ソリが合わない人とひと悶着あった際、「それはAsako個人に対して言ったことではないんだから、個人的に捉えないこと」「あなたやその人が悪いのではなく、育ってきた文化が違うんだから仕方がない」と言ってもらい、気持ちが楽になって、共同して働くということがどういうことか教えてもらった気がします。

ニューヨークの個性的な患者たち
――患者さんについて何か思い出になっていることはありますか?
吉野:富裕層の患者さんが多かったんですよ。その中でも強烈に印象に残っているのがある宗教のお偉いさんが来院したことがあって、大腸内視鏡の検査を受けに来たんです。めちゃくちゃ立場の上の人だそうで付き人が3人くらいついてきて驚きました。そこで言われたのが「あなたは女性なので彼と話してはいけない」だから私は彼の部屋にも入らずにいたんです。
検査が無事終わって、麻酔が切れたタイミングでその部屋にいるはずの麻酔医のアシスタントがいなくて、付き人もいなくて、彼が通路に出てきたところに出くわしてしまったんですよ。狭い通路で目があった時は「やってしまった」と思って、どうしようと悩んでいたら「終わった!!」と怒った声で言われて。特にお咎めもなくて良かったんですけど、怖かったですね。
――なかなか日本では経験できない話ですね。他にエピソードはありますか?
吉野:10代くらいの女の子が母親と来院して、彼女は胃カメラを受ける予定だったんですけど、私は間違って「大腸内視鏡ですよね?」って聞いてしまったんです。そしたら彼女は「私は大腸内視鏡なんてしない!しない!しない!」ってパニックになって。そしたら母親も「あなたなんてこと言ってくれたの!」って怒られたことがありましたね。確認不足だった私が悪いんですけどね。
――アメリカだとそれだけで裁判になりそうで怖いですね。
世界一の街で感じた成長
――ニューヨークで働いた感想を教えてもらえますか?
吉野:アメリカのニューヨークという多様性に富んだ街で異文化を経験して、世の中には本当に色んな人がいて、色んなことが起こるなっていうのを実感しました。自分や日本での当たり前が、海外では当たり前ではないこと、自分の常識が通用しないこと、今までのやり方が通用するとは限らないことなどを学び、人間的に一回り大きくなれた気がしています。
あと、自分に必要なことは自分できちんと調べてアクションを起こす必要があることや、他人に任せっきりにはできないことも学んだので、そういう意味でも成長できたと思います。
――最後に、今後海外で働きたいと考えている人たちにアドバイスをお願いします。
吉野:私の経験って本当にラッキーだと思うんです。無事にライセンスを取れて、ニューヨークで1〜2ヶ所応募しただけで決まって、同僚にも恵まれて。これが普通と思われるとそれは違うので、そこは理解してほしいと思っています。
もう一つが海外での経験は、間違いなく損にはならなくて、成長できることだと思うので、海外に興味のある人はぜひ前向きに検討してもらえたらと思います。ただ、かなりの覚悟が必要です。アメリカに強い希望がなければ、他の国も検討してみてはどうかと思います。ぜひ海外に挑戦してもらいたいですね。
【バックナンバー】
第1回:「アメリカ看護師からなぜ研究者に?」吉野亜沙子が語るニューヨークで仕事を得た方法と日本帰国の理由
第2回:「多様性の街ニューヨークで成長できた」吉野亜沙子が語るアメリカでの看護師経験