「夢の海外就職!しかしその現実は」山本啓太が語るベトナム日系大学でのハードすぎる教員生活

第2回目のインタビューは、前回に引き続き、本サイトの代表の山本啓太さんです。今回はベトナム日系大学でのお仕事について伺いました。

プロフィール

山本 啓太(やまもと けいた)

理学療法士/MPH。4年間の病院勤務の後、アルバータ大学に短期留学。その後、世界20ヶ国を放浪しながら7か国にて医療従事者に取材を行う。帰国後、ベトナム日系大学での勤務を経て、国際NGOに転職しカンボジアで駐在中。駐在員をしながらマンチェスター大学公衆衛生修士課程(オンライン)を修了。シルクロードが好き。

<最終学歴>

2022年マンチェスター大学公衆衛生学課程修了(オンライン)

<職歴>

2012年〜2016年:京都府の病院で理学療法士として勤務

2018年〜2020年:日系大学の教員としてベトナムに駐在

2020年〜:日系NGOの職員としてカンボジアに駐在

<その他の海外活動>

2016年:アルバータ大学で短期留学

2017年:20ヵ国バックパッカー

2018年:Future learningでGlobal Health and DisabilityのCertificateを取得

<関連する保有資格>

理学療法士

IELTSスコア6.5

<配偶者/子供の有無>

あり/なし

日系大学での仕事とは

ーーベトナムではどのよう仕事をしていたのですか?

日本の私立大学がベトナムに医療系の大学をつくり、そこの理学療法学科の教員として駐在していました。メインの仕事はベトナム人学生に対して理学療法を教えることです。二つ目の仕事が、その大学のコンセプトが「卒業後に日本でも働けるようになる」ことだったので、日本語も教えていました。大学が出来て2年目だったので、学生も少なかったので、広報活動をしたり、イベント、学園祭をイチからみんなで作ったり。あと、ヨルダン人の教授がいたので英語の通訳をしたり、本当にいろんな仕事をしました。

――理学療法学科の他にどのような学科があったんですか?

山本:看護学科、理学療法学科、放射線学科、検査技師学科、義肢装具学科の5学科です。義肢装具学科はベトナムで人気がないのか、どれだけ広報しても僕がいた時は入学生がいなかったですね。

日本とベトナムの学生の違い

――職員の人数や体制は?

山本:職員は全部で20人くらいいて、日本人駐在員が7人くらい。残りの15人くらいがベトナム人で、1人ヨルダン人の教授がいました。僕の上司は日本でも資格取って働いてた理学療法士なんです。なので、ベトナムのことを知りながらも「この大学は日系の大学だから」ってので、日本ベースで考えてる方だったので、すごく仕事はしやすかったですね。

ーーベトナムの学生はどんな人たちでしたか?

山本:明るくて気さくで距離感が近い子たちが多かったですね。授業が終わったら「先生、ビールを飲みに行きましょう」みたいな。教員と学生の線引きは必要だと思っていたので毎回断ってたんですけど、それでもめげずによく誘われました。

――日本とベトナムの学生の違いはありましたか?

山本:少なくとも、僕の大学時代の同級生たちと比べると、何と言いますか、良い態度とは言えないですね。でも今の時代、それが普通なんだと今になっては思います。

具体的に言うと、よくスマホ触ってるとか、あんまり話し聞いてないとか。中にはベトナム語しかできないっていう子もいるんですよ。授業は日本語と英語だから何言ってるか分からない、何言ってるか分からないから寝よう、スマホいじろうとなるのは当然かな、と思うので。そもそもひらがなもまだ微妙…って学生たちが取り残されている状況があったので、日本語の集中講義をやったりしましたね。

学生たちとの集合写真

ハードすぎる駐在員の仕事

――駐在員と聞くとハードな印象がありますが実際にはいかがでしたか?

山本:まず僕は日本で大学の先生をやったことなかったんですよ。当時、常勤で理学療法学科にいたのが、ベトナム人の上司1人と僕の2人だけ。日本から出張でたまに先生が来たり、もしくはオンラインで日本の先生と繋いで授業するっていう形だったので、1人で年間で8科目くらい持ってたと思う。それをイチから授業を作ったり、授業によっては日本語が全然わからない学年だったら、日本語+英語の資料を全部つけてやってたんですよ。本当は日本語で授業するんですけど、それじゃ分からないから、両方でやってました。例えば触診の授業は、全ての骨、関節、筋肉の名前を全部で頭にぶち込んでやってました。

教員の仕事だけでも大変だったんですけど、日本人で僕みたいに職位の低い人間が他にいなくて、いろんな仕事を1年間断らずに受け入れてたら、ある時パンクしたのか、メンタル的にかなり落ちた時もありましたね。

――それは大変でしたね!

山本:ほんと大変でした。家から大学まで30分くらい車乗って行くんですけど、最初の時期は車に乗ると動悸がしてたんですよ。たぶん嫌すぎて。でもその時はその授業が嫌だからだと気づいてなくて、「まだベトナム来たばっかりだから身体調子悪いのかな」「ベトナムの空気が悪いからそれが影響してるのかな」と思ってたんですけど、後から考えると、メンタル的なところで「あぁ、たぶん行くの嫌だったんだなぁ」と後から気づいたんです。

地獄行のチャーター車でベトナムへ

ーー日本に帰りたいなって思わなかったですか?

山本:なりましたね。執念のような形でベトナムで働くことが決まったんですけど、やっぱり日本帰りたいな、と思うんですよ。半年くらい経つと、職場のルールで一時帰国できるんです。住んでるマンションにチャーターしてる車が来てくれるんです。そこで荷物を預けて空港まで行くんですよ。そのチャーターの車の中がほんと最高で。運転手が荷物とか全部やってくれたりして、クーラーの効いた車の中で、「あぁ、日本に帰るんだ、明日から2週間休みだ」っていうのがめちゃくちゃ幸せなんですよ。

一方で、休暇が終わってまたベトナムに戻ってきて、明日から仕事が始まるじゃないですか、めちゃくちゃ大変な。それが本当に憂鬱なんですよ。だからベトナムから日本行くときは天国行のチャーター車で、逆に日本からベトナム帰ってきた時は地獄行のチャーター車なんですよね、気持ち的に。

ベトナム人スタッフに怒ったら

ーー海外で働いて何か失敗したことや勉強になったことはありますか?

山本:初めての学園祭をみんなで作ることになったとき、僕が代表になってやったんです。その時に、ベトナム人の若い女性職員がミスをしたんですよ。それを僕が人前で怒ってしまったんですね。そうすると、その子が拗ねて、いなくなったんです。謝りに行こうと思って、いろんな校舎を探したら図書館にいたんです。で、その子に、「すみません、みんなの前で怒ってしまったのは僕が悪かったです。すみませんでした。」って言ったら、「別にいいです。もうどっか行ってください」みたいなこと言われて。「本当にごめんなさい」と何度も謝って、許してくれたってことがあったんです。

日本も今はそうだと思いますけど、人前で怒るっていうのは良くない。要は、人前で恥をかかせたみたいな。あれからは国籍に関係なく、やったらダメだなって、すごく勉強になりましたね。

ーー他に印象的なことはありますか?

山本:会議も大変でしたね。日本人スタッフは日本の文化を適応していこうという人が多かったんですけど、ベトナム人スタッフの中には「ここはベトナムなんだからベトナム式でやるべきでしょ」という考え方の人がいたので、なかなか議論が進まない。広報委員会の代表をしていた時は、どうやって議論を着地させようか毎回悩んでましたね。

実行委員長を務めた第1回学園祭

お金に余裕のあったベトナム生活

ーー話は変わりますが、給料や福利厚生はどうだったんですか?

山本:日本でPTとして働くくらいのお給料はもらってましたね。家賃や光熱費、年2回の一時帰国費も職場が全部負担してくれてたんで、自分で払うお金っていうのは食費と交際費くらい。しかも当時は一人だったので、そのくらいのお給料でもベトナムでは余裕のある良い生活ができていましたね。日本の健康保険もベトナムの海外旅行保険も会社で入れてくれてたので全く心配なかったです。

ーーどんな環境で生活をしてたんですか?

山本:ハノイから30分くらい車で行ったところで、いろんな企業とかを誘致しているニュータウンに職場があって、その近くのコンドミニアムに住ませてもらってました。道は当然舗装されて、花とかもいっぱい、木とかも綺麗で、公園があって、ちょっとした買い物できる場所があって。本当、ニュータウンって感じでした。

そこからハノイ中心街やイオンモールへ無料バスが出てたので週末は毎日遊びに行ってました。遅くまで飲んでバスがなくなった時はバイタクに乗って帰ったり懐かしいですね。

駐在員は自分の健康を第一に

ーー最後の質問ですが、大変なベトナムの仕事だったと思いますが、今振り返ってみてどうでしたか?

当時はいろんな仕事を任されて、メンタルを病むまで働きましたけど、今振り返ってみると、あれだけ色々やったからこそ、今のNGOのポジションを取ることもできたし良かったと思います。いろんな仕事をさばけたり、授業をスムーズに実施できたり、学生との信頼関係みたいなものも築けたりと自信に繋がりました。

ただ一つ言いたいのが、海外駐在員はメンタルの問題が生じやすいので、無理はしすぎないでほしいです。海外保険にメンタルヘルスサービスがあったりするので、それを利用したり、ヤバいとなったら職場に相談したり、帰国したり、自分を第一に考えてほしいです。

【バックナンバー】

第1回:「日系大学から国際NGOへ」30歳で海外2ヵ国で仕事を得た山本啓太が語る海外キャリアの築き方

第2回:「夢の海外就職!しかしその現実は」山本啓太が語るベトナム日系大学でのハードすぎる教員生活

第3回:「毎晩悪夢を見た」山本啓太が振り返るマンチェスター大学オンラインMPHでの社会人大学院生活

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